鉄人集録記

北海道・道北路線その2

SL集録紀行での拘り
全国で活躍している蒸気機関車(鉄人)が姿を消しつつある事に気がついたのは、1971年7月21日に初めて北海道旅行に出かけて、大沼公園駅から倶知安駅まで移動する際に乗車した急行「ニセコ」号を牽引してきたC62型蒸気機関車との出会いの時でした。
その時点で、北海道には相当数のD51が活躍しており、SL製造年からして古いものから無くなると考えて、大正の名機9600型機関車やC55型機関車から撮り始めるべきとの思いで、道北路線から撮影を開始した。

名寄本線では9600型機関車が貨物列車を牽引して活躍していて、天北峠越えでは9600型機関車の重連運転が行われていた。

北海道・道北路線その2




我が鉄人集録紀行初期の路線:名寄本線

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1)名寄本線上興部駅:1973年1月2日
    

初めて名寄本線の上興部駅に着いた時には、これから天北峠越えをする貨物列車の前補機となる49648号機が待機していた。
上興部駅に着いたのは遠軽からの一番列車でのことで、その時の駅の寒暖計では氷点下20度であった。
上興部駅から天北峠へ向かって鉄路を30分程歩いた地点で、名寄本線の96型機関車の重連列車の撮影を行った。
此の時に初めて体験したのが、超低温のための乾電池の反応不良により録音機・8mmカメラが作動しない事であった。

2)名寄本線上興部駅での光景:1973年
    

3)名寄本線の名所・天北峠:1973年

    

後日判明したことであるが、名寄本線の重連運転で前補機として見かけた49648型機が、国鉄時代最後のSLとして追分機関区で構内入れ替え運用で活躍していた事であった。